戯言砂漠

雑文の死にゆく場所です

生きてこそ

ずっと実家に暮らしている。


祖父(父方)は10年くらい前に亡くなってしまったが

今現在は母、兄、祖母(父方)と自分の4人で生活している。


ずっといっしょに暮らしているからこそ分かるそれぞれの性格の違いってやつ。

それを踏まえた上で上手くやるってのも大人なんだろが、ギクシャクすることも多々ある。


自分が正しい。あなたは間違ってる。その理屈で他をただただ変えようと試みる。

やってみたら分かるけどそうそう上手くはいかない。否定だけでイイ方向に転がってくことなんてほぼほぼないんだ。


相性は悪い。改善もされてない。仲は良くない。凄く悪いとも言い切れないが。

仲良くなれるとも思えないと同時に仲良くなりたいわけでもない。

したくてする喧嘩なんてものも存在しない。結果的にぶつかる他ないって事実があるだけだ。


ただただそこにいる。そこに居続けた。それだけの存在。それは互いに各自にとって。

特別な存在とも言えるし、何をもって特別というかが曖昧だとも思える。


たまたま家族だった。たまたま血が繋がっていて、縁あって、理由あって、目的あって一緒に暮らしたりしてる。


いいこともわるいことも各自生きてりゃ遭遇するだろう。

各自好き勝手に生きてる以上、大体が自己責任ってやつだろうとも。


幸せになれよなんて思わないけど、もちろん不幸を願うこともない。

イヤな思いしてたらこっちもイヤな思いになるのは知ってる。


腹が立っても くたばれ! 死んじまえ! なんてことは思わない。思ったことはない。


情というものが確かにあるとしてこれが愛情である保証もなければ、実感もなく、ただただこっちがイヤな気持ちになる。


ちゃんと生きてよ最後まで。元気で健康でいた方がいいよ。心配しなくていいから。


どうでもいいっちゃどうでもいい存在。おはようの挨拶すら別にかわさないし。それがうちらの普通だし。


もうちょっと上手く関係築けたかもなって後で思うかもしんない。後悔が待ってるかもしんない。

でも現状はこれがうちらの最善かつ限界。


婆ちゃんが死にかけた時は内心すげぇ焦ってた。すげぇ不安だった。悲しさに襲われた。


でも絶対それは外には出せなかった。出さなかった。


じいちゃんが亡くなった時。葬式当日まで現実逃避して誤魔化して誤魔化して過ごして、いざ式になった時に結局ワンワン泣いた。

どうしようもなく泣いた。兄もそういや泣いてた。言葉かわすことなくうちらは泣いてた。


祖父と喧嘩ばかりしていた祖母も放心状態だった。気の抜け方からして、婆ちゃんもポックリそのままいくんじゃないかと当時不安だった。


それぞれの本心は他者には決して分からず、日々は誤魔化して生きてんのかもしんない。自覚すらしてないのかもしんない。


思い出の数だけ別れは辛い。ただそんだけのことで、家族でなくてもそれは変わんないんだとは思う。

一緒に過ごしていたからこそ思うこと多々。エピソード多々。迷惑な話、最後にきっちり襲われる。


じいちゃんと特別何かしたことはないし、深い話をしたこともない。良く分からないままだった。

だけどいなくなった時の喪失感は相当だった。それは一過性のものだったとしても。


特別を無理に特別としなくても、特別なものは既に特別なんだ。

分かってても、分かっていなくても、失ってからようやく解き放たれるものがあって、変化だって生じる。


オレも必死に自分なりに生き続けるから、そっちも頼むわ。勝手ながらそう思うわ。

そんな気持ちと共にこの家での生活を続けるわ。


泣いたり、泣かせたり、それはもういつかきっと味わうことだから。